形のない形(6)

<章=6> 今日は、いろんな人が出入りして、少し疲れた。 どんなに好きな友人でも、どんなに付き合いの長い友人でも、信頼している人でも、人と会う、それそのこと自体が人間には何かの圧力をかけているようだと思う。そうじゃない人もいるのだろうけど、少なくとも一人の時間が必要な俺にはそう感じる。でも、隆弥さんだけは別だけど、と心の中で付け加える。

「仕事忙しくないの?」 俺が入院してから、仕事の合間や仕事が終わると隆弥さんは様子を見に来てくれる。「これも立派な仕事だ。患者を診てる」 というわりには、何故かデジタルカメラを手に持っている。「そのカメラは? 仕事の一環?」「いや。これは趣味だ」「なにそれ」「公私混同しないための言い訳」「してるよ、それ」 思わず苦笑した。 隆弥さんは元々の写真を撮ることに加え、俺のポートレートを撮るのを趣味にしている。それはつき合いだしたころから変わらずに続いている。デジタルデータになっているのでアルバムで溢れ返るということはないが、隆弥さんのお気に入りは印画紙にプリントされるので、それだけでも結構な分量になっているはずだ。俺のこと、そんなに撮ってどうするんだと思うけど。「そうかもな。でも、入院してる慶嗣なんて、こういうときにしか撮れないし」 神妙な顔をしてそういうことを言うものだから、思わずまた笑ってしまった。「そりゃそうだけど」「今日は、少し疲れたか?」「うん」「友だちが結構来てたな」「……あとエージェントの人も来た」「そうか……」「契約破棄だって」「そうか……」 すこし静かな声が返ってくる。「……残念?」「それは慶嗣の方じゃないのか。俺もプロの撮った慶嗣が見られないのは残念だけど」「そんな理由?」「そんな理由。俺の撮ったのもいい線行ってると思うけど、プロは非日常を撮れる」 隆弥さんはしゃがんで下からのアングルで俺を撮っている。「でも、隆弥さんにしか撮れない俺もある」「プライベートフォトは俺の専売特許だな」「そんなに俺を撮るの、好き?」 そう訊くと、しばらく間があった。「俺は慶嗣を撮るまで、ポートレートには興味がなかった。風景―――花とか山とか川とか道端にある造形物とか建物とか、自然か人間が作った人工物ばかり撮ってた」「初めて逢ったときも建物撮ってた」「普段、人間を相手にしているからかどうかはわからないけど、人を撮ろうという気にはなれなかった。慶嗣に出逢って、撮りたいと思ったよ。でも、未だに慶嗣限定だけどな」 撮り終えて満足したのか、ベッド脇に座り、そして、俺の髪を撫でてくる。隆弥さんの癖。すごく落ち着く。思わず目を瞑って温かい温度を感じる。 今日、銀次に言われた「甘えんぼ」という言葉が頭をよぎる。こういう何気ないところのことを云っているのだろうか。だといたらすごく恥ずかしい気分になってくる。でも、こうやって甘やかされるのはすごく落ち着く。嘘を吐いても仕方がない。それに、隆弥さんのさっきの言葉じゃないけど、俺もこうやって甘やかされるのは隆弥さん限定。「写真は時間を閉じ込めるいたいなものだ」 目を瞑って甘やかされる猫のように頬をすり寄せると、髪を撫でる手が頬に移動してくる。「ずっと、この写真には慶嗣が刻みつけられてる。そして、この表情《かお》が永遠のものであればいいと思ってる」 そして温かい唇が触れる。「勤務中にこんなことしてていいの?」「ダメだけど、まぁ、仕方がない。お前相手に、完全に公私を分けろというのは無理な注文だ」 もう一度唇が触れてくると当時に、隆弥さんの手が更に下へと降りてくる。「浅野先生。患者へのお手つきは問題ですよ」 冗談めかして言ってみると、「嫌なら、止めるけど……」 耳元で囁かれる。こう言われると、俺が止めないのを判って言っているのだ。「いや……じゃないけど、鍵、閉めて」「鍵ね……」 嫌な予感がする……。「病室の鍵は掛けないのが基本だし、その方がスリルがあると思わないか?」 当たった。 俺の返事を待つことなく、隆弥さんの手があやしく動く。「ダメだって……」「ホントに?」 こういう時だけイジワルになる隆弥さん。そういうところも嫌いじゃない自分が問題だけど、ここは病室で、公の場に限りなく近い。でも、このまま流されるわけにはいかない。「……ダメ」 隆弥さんの手を制止するが、力はあまり入っていない。入らない。「抵抗する慶嗣も可愛いな」 逆効果。 誰にも見られなければいいか……と流されそうになる。

 その次の瞬間、病室をノックする音が聞こえ、夕食を乗せた配膳車を押しながら看護師の女性が入って来る。「あら、浅野先生。またこちらにいらしてたんですか?」「ああ、お疲れさま。相澤さん」 はっとしたのも束の間、隆弥さんは素早く俺の着衣を整えると、何事もなかったかのように振る舞う。

 隆弥さんはここのドクターなのだ。院内のスケジュールを知らないわけがない。俺の狼狽ぶりを楽しむためにやっていたのかも。何やらニヤついてる。「西雲さん、食事です」「あ、ありがとうございます」 トレーを机の上に手際よく置いて行きながら、看護師さんは明るく声をかけてくれるが、こっちはそれどころではない。「食べにくかったら言ってくださいね」「はい……」 テキパキとした動作でそう言い残して、配膳車を押しながら出ていってしまった。忙しいのだろう。

「……隆弥さん……」「ん?」「ヒドイ」「何がだ?」「分かってて言ってるだろ」「いいな。羞恥と怒りの交錯」 そう言うといつの間に手にしたのかカメラで一枚撮られた。「もう……!」 こういうのを玉に瑕と云うのだろう。隆弥さんは三十路を越え、不規則な生活を強いられているのに標準体型を維持している、ていうか、イイ身体してるし、顎髭も似合ってるし、年の差十歳を感じさせないっていうか、いや、年の差は感じるんだ。余裕があるっていうか、掌で泳がされてるっていうか。とにかくイイ男だと思う。でも、こういうときだけ、何かオヤジくさいというか、結局丸め込まれてしまうんだけど……、なんだかくやしい。 隆弥さんはまた頭を撫でてくる。「続きはもう少し快復してからな」「続きはしない。なし! 当分の間、そういうことはしない」 くやし紛れに出来もしないことをいうのは仕方のないことだと思う。「怒ったのか?」 俺が怒っても隆弥さんはそれに取り合ったり、言い合ったりということがない。正論で説き伏せてくるか、謝ってくれるかのどちらかだ。「……」 くやし紛れと恥ずかしさの綯い交ぜになった表情《かお》を向けると、優しい表情《かお》で微笑む隆弥さん。「好きな子ほどイジワルしちゃうっていうアレだから、ゴメンな」「そんなコト言われたら、怒ってる俺がバカみたいだろ」 恥ずかしいこと言うな、と突っ込もうかと思ったけど、謝り方が可愛かったので溜飲が下がる。我ながらお手軽。

「―――飯、食べさせてやろうか?」「へ?」「食べにくいだろ」 片腕になった俺に、隆弥さんは気を遣う。「いいよ。隆弥さん忙しいのに……。―――それに、俺はずっとこうなんだから、食べにくいとかどうとかは言えない」 そう言うと、隆弥さんは少し寂しそうな顔をして「そうか……」と言った。「でも、無理するな。俺には頼ってくれよ」「もう、十分頼ってるよ……。これ以上、頼れない」

 ふと隆弥さんの携帯電話が鳴る。病院内での携帯電話の使用は禁止なので、院内用の携帯電話だ。 さっきまでの、優しそうな隆弥さんから、仕事中の顔に切り替わる。なんかカッコいい。

「急患が入ったから、またな」「うん」 少し早足で隆弥さんは病室を出ていった。