形のない形(5)

<章=5> 入院から四日。俺は順調に回復していた。一人の病室で隆弥さんとの出会いを回想して今の幸せを反芻していた。 この先のことはわからないけど、今は付き合いを続けてくれるらしい。愛想を尽かされるかもと思ったりしていただけに、隆弥の言葉は力強く精神《こころ》の支柱《ささえ》になっていた。 「隆弥さんに出逢えてよかった……」 呟く。 そんなことを考えながら部屋の外を眺めていると、ドアの音がバタッとしたかと思うと、「慶嗣!」 と、騒がしく病室に入ってくる男が一人。 さっきまでの静けさから現実に引き戻され、ため息をつきながら、「銀次か」 と、にべもなく言い放つ。「慶嗣ー。連絡がないと思ってたら入院だなんて」 つかつかとベッド脇まで来て騒ぎ立てるコイツは、中兼久《なかがねく》銀次。インパクトのある時代劇風の名前だが、本人はいたって現代のチャラ男風茶髪に柄T、黒のスリムジーンズ、シルバーアクセサリを付け、おまけに少しうるさい。しかもお姉口調だ。だからといって男が好きなのかというとそういうわけでもない。高校以来からの親友ではあるのだが。「はい。これお見舞いよ。で、大丈夫なの?」 お見舞いは定番フルーツ詰め合わせ。それをサイドテーブルに置くと、ベッド脇に両手を置いて顔を近づけてくる。「何が?」「体よ。体」「体調は悪くない」「確かに元気そう。メールじゃ、入院したとしか書いてないし、心配で心配で」「心配かけたな」「そうよ。なんで入院なんてしたの?」「見てわからないのか?」 と無くなった左腕を動かして見せる。「え? 腕がない!?」 素っ頓狂な声を上げる銀次。今の今まで気づかなかったのか。「どうしたのよこれ」「自分で切ったんだ」「はぁ? そんなことできるの」「できる訳ないだろ。ドライアイスで冷やして凍傷を起こさせて、手術せざるを得ない状況にしたんだ」「何よそれ。自分で冷やした?」 意味がわからないという風に首を捻るこの男に、この事の顛末を説明するのは少々面倒に思えたが、説明をしないわけにはいかないだろうとこれまでの自分のことを説明する。

「何よそれ……」 先程とおなじセリフを口にし、「アンタ、キレイな腕を無くしちゃうなんて勿体ない」 顔に両手を当てて、「いやいや」と左右に首を振る。「なんだよ勿体ないって」「勿体ないは勿体ないよ。腕は新しく生えてきたりしないのよ」 腕を組み右人差し指を顎に当てている。女の子がするとかわいいかもしれないポーズだが銀次は上背もある男でそんな風には見えない。「そんなことはわかってる。これが俺の本来の姿なんだよ」「あら、ワタシのこの言葉遣いと一緒ね」「お前のは本性だろ。男のお・姉・さ・ん」「あらやだ。『男の』は余計よ。お姉さんと呼んでくれていいわよ。慶嗣のお姉さんなんて想像するだけでイイわぁ」 銀次は俺のことを弟のように考えている節がある。俺には兄弟はいないので実際どうなのかはわからないが。「誰が呼ぶか。お前には銀次って名前が合ってる」「そうじゃなくって」 ぐっと乗り出し顔を近づけてくる銀次。「そーんな取り返しのつかないこと、ワタシに相談もないなんて」「こんなこと相談できるか。それにお前じゃ相談にならない」「どうしてよ」「お前はひたすら止めろとしか言わなさそうだ」「そうね。慶嗣のキレイな体を傷物になんて、それが本人の意志でもあり得ないわねぇ。まさに絹のような肌」 といって、右腕を摩り触る。銀次の過剰なスキンシップは止めてもやめないのでもう好きにさせている。「銀次はホントに俺の身体好きな」 呆れながらため息をつく。「身体も好きだけど、中身も好きよ。二枚目なのに甘えんぼさんなところとかキュンときちゃう」「誰がだよ。俺はそんな甘えたりとかしないぞ」「ふふ。無意識なのねぇ。そこがまた可愛くていいんだけど」「可愛いとか言うな」 「可愛い」なんて隆弥さんは言ってくれない。言ってほしいわけではないけど。「それじゃ、林檎を剥いてくれ」 見舞いのフルーツの方へ目を移し唐突に言ってやる。意趣返しにもなっていないが、俺の我が儘を聞くのが好きな銀次にはこれくらいの唐突さは茶飯事だ。「そうね。その腕じゃ、自分で林檎も剥けないもんね」「ピーラーを使えば自分でもできると思うけど、ここにはない」「ナイフはあるの?」「それは隆弥さんが用意してくれた。棚の中に入ってる」「隆弥さん、ね」 林檎を手に、果物ナイフを棚から取り出しながら、意味ありげに隆弥さんの名前を復唱する。「さっき病棟の近くで見かけたわ。会釈だけで話はできなかったけど」「今は忙しい時間のはずだからな」「浅野さんにはもちろんこのことは相談していたんでしょう?」 同じく棚から使い捨て皿を取り出し、ベッドサイドの椅子へ座り、慣れた手つきで林檎を剥いていく銀次は訊いてきた。「それは……色々と話はしたけど……」「こんな取り返しのつかないこと、浅野さんも止めたでしょうに」 慣れた手つきで林檎を剥きながら、非難する口調ではなく半分呆れた口調で話す。「……よく考えるように言われてたよ。取り返しがつくことじゃないから」 シャリシャリと林檎を切る音だけが病室に響く。「……あんまりそんな風には見えないかもしれないけど、ショックを受けてるのよ。これでも」 「はい」と切り終わった林檎を皿に乗せサイドテーブルに置く。「腕を無くすなんて相当の覚悟がなきゃできないことなのはわかるけど、相談の一つも欲しかった。多分、アンタの言う通り『やめときなさい』としか言えなかったとは思うけど」「俺、ずっとつらかった。こんなことはおかしいことだからと誰にも言わなかった。隆弥さんにだけだよ、言ったのは」 これは嘘偽りない本心だ。「お前にだって言えなかった。だっておかしいだろ」 自嘲気味に笑って、「おかしいとわかってることをやめられないなんてこと、ダチに相談するなんて」 銀次は俺の右手の上に手を乗せ、「それでも……、言ってほしかった」 その声はやさしく、少しだけ相談しなかったことを後悔した。

 束の間の静寂を破るように病室の扉がノックされ開く。「お。銀次も来てたのか」 俺と銀次の目線が扉へと移される。「忍」 と、文字で書くと同じだがトーンの違う、俺と銀次の声が重なる。 スーツ姿でおそらく仕事中に立ち寄ってくれたのだろう、北丸忍も高校時代からの友人だ。「入院したと聞いたわりには元気そうだな」「大変なのよ! 腕がなくなってんのよ」 銀次は声を張り上げる。「腕?」 眉を顰める。「事故とは聞いてなかったが、事故か?」「事故じゃないのよ!」 興奮して話そうとする銀次を「俺が話す」と制止し、銀次に話したのと同じようなことを説明した。

「なるほど。何と言っていいかわからんが、自ら進んで障碍者になるとはな。正気の沙汰とは思えん」「忍!」 銀次が非難するように口開く。「ハハ。さすが忍。手厳しい」「俺は普通だと思うぞ。お前みたいに恵まれたルックスで生まれてきたかった奴はたくさんいるだろうからな」 それはもっともだと俺も思ってるよ、と言おうと思ったがやめた。言葉の端に俺のことを心配する気持ちが見て取れたから。「心配かけてすまない」「……俺に謝っても仕方ない。それより浅野さんだったな。一緒に住んでる。その人に同情するね」「忍。さっきからそんなことばっかり。それに浅野さんは恋人なんだから迷惑とは思ってないかもよ」 銀次が口をはさむ。「まぁ、それは二人のことだからいいさ。でも、これからその身体だと大変だ」「それは覚悟の上だ」 俺ははっきりと答えた。「それより、仕事中に見舞いに来てもらって悪かったな」「俺は営業だからな。仕事さえしてりゃ、多少フラフラしてても文句は言われないさ。しかもこの病院近辺は俺の営業エリアだしな」「二人とも、林檎剥いたの食べなさいよ」 さっき銀次に剥いてもらった林檎を忘れるところだった。俺は遠慮なく皿から林檎を取り口に入れる。 忍も「ああ」と言いながら手にとる。それを見て、銀次も「それじゃワタシも」と皿に手を伸ばした。 しばらくの沈黙の後、「そうだ。忘れるところだった。見舞いだ」 忍は御見舞と書かれた封筒を差し出す。友人の見舞いに現金とは実用本位で真面目な忍らしい。「ま、友だちのお見舞いに封筒って……」 それを見た銀次がすかさずツッコミを入れる。「これが一番実用的だろ。必要なものに使ってくれ」 銀次の言葉を気にする風でもなく言葉を続ける。「ありがたく」 といって受け取る。 昔から忍の優しさは不器用だけど、俺は誠実ってこういうのを言うんだろうと思う。忍の奥さんは幸せ者だなと思ったりした。新婚なのだ、忍は。「でもさぁ、慶嗣って突拍子もないこといっつもするよね」 銀次が言う。「何が?」「浅野さんと一緒に住むって聞いたときもびっくりしたもの」「確かに」 と、忍が頷く。「どうして?」「普通男だとは思わないじゃない」「そうか?」「ま、こういう奴だからな……」「そのお陰で飽きないですむけど、今回のはちょっと……」 と言って、銀次は俺の左腕を見る。ため息までつかれた。「元々こういう体だったと思ってくれればいい」「思える訳ないだろバカ」 忍に間髪入れずに言われる。「仕事はどうするワケ?」「ん? やめざるを得ない。かな。やっぱり」 これについては本当に仕方なく、だ。「……それでいいの?」「いいも悪いも仕方がない。腕のないモデルなんていないからな」 まだエージェントと話はできていないけど、おそらく契約破棄だろう。「アンタにとっては仕事よりその腕の方が大事だったってわけね。その自分に忠実な生き方にはいっそ感心するけど。でも、納得はいくものじゃないわね」 そんな格好のいいものじゃない。どちらかしか選べないから仕方なくだ。そう思いながら自嘲した。「厄介な奴だよお前は」 忍の言葉には全面的に「そうかも」と返すしかない。

「大変なことがあったら手伝うから何でも言ってね」「まぁ、大事にな」 という言葉を残し、二人は帰っていった。隆弥さんとは違う励ましに心が温かくなるのを感じる。

 その後も何人か連絡をした友人が来たが、それぞれ励ましやら見舞いの言葉を残していった。つくづく友人はありがたいと思う。 だが、一番知らせるのが辛い親にはまだ連絡をしていない。 モデルエージェントの喜吉さんにも電話で入院したことは連絡した。今回のコトは計画的だったので、仕事にも影響が出ないよう、一応仕事の区切りが付いている時期のことだった。だが、これからの仕事のことは俺にはどうしようもないと行動に及んだので、その件では当然迷惑をかけることになる。入院の原因を話すと、絶句していた。そりゃそうだろう。来てくれると言っていたのでその時に話になるだろう。

「迷惑をかけるつもりはなくても、迷惑だよな」 隆弥さんが家から持ってきてくれた入院用具一式の中には iPod nano も入っていた。因みにカラーはブルーだ。 イヤフォンを耳に当て、お気に入りのケニー・Gを聴く。サクソフォンの音色がちょっと波立った心が落ち着かせていく。

 ドアをノックする音がして、入ってきたのはエージェントの喜吉《きよし》さんだった。 喜吉さんは男前なのに少しメタボではないかというお腹をしていて中々愉快な人だ。もう少しスリムになればカメラの前に立てるんじゃないかなと思うけど、そんなことには興味のない人なので、身だしなみ以外には無頓着なようだ。「喜吉さん。わざわざ来ていただいてすみません。……ご迷惑をおかけすることになって」 ベッドの上で頭を下げる。「西雲君。どうしてこんなことにとしか言えないけど……体調はよさそうだね」「はい。おかけざまで。でも本当にすみません」「まぁ、謝ってもらってもどうしようもない。とりあえずね、表向きには事故ということにしよう」 確かに自分で腕を無くしましたとは対外的には説明しにくいだろう。「俺、もう仕事は無理ですよね?」「……まぁ、そうだね」「………」「君はまだこれからこの業界でやっていける実力があったのにどうしてこんなことを……」 この質問に関してはどう答えても理解してもらえないだろう。「人はどうして病気になるのか」という質問に答えるのと同じようなものだ。「これが本来の俺なんですよ。理解してもらえるとは思ってないですけど」「本当にわからないよ。この仕事は、やりたい気持ちだけじゃできない。限られた人間にしかできないのにもったいない」「すみません」 俺はこれから何度「すみません」と口にするのだろうと思ったが、これが俺がやってしまったことへの客観的な言葉なのだろう。「それで……契約は破棄というのが、上の判断だったよ」「そうですか」「餞《はなむけ》というわけじゃないけど、お見舞いには花を持ってきた」 喜吉さんなりの励ましのつもりなのだろう。洒落にもなっているのかもしれないけど。ひまわりのグラスブーケだ。ひまわりは好きな花なので単純にうれしい。「ありがとうございます」「これから、どうするんだい?」「まだ、はっきりとは決めてません。でも、この仕事になにか関係のある仕事ができればいいなとは思います」「そうか。僕で協力できることがあるなら力になるよ」「ありがとうございます」 それが社交辞令でもこんな俺に掛けてもらうには過分な言葉だと思う。