<リライト>1996.6.21~1997.7.18~
一、精霊の住み処
彼は、樹齢千年の樹に染みついて、人間の街を観ていた。
彼は数少ないエルフの生き残り。多くのエルフが棲んでいた森は、人間たちの傍若無人な近代化が進み、殆どが街や工場に変わっていった。
成層圏の遥か彼方。彼と親しくしている雲がいました。三カ月で地球を一周する無頼の雲は、彼に云いました。「どうして人間たちに、森を守ってもらうように頼まないの?」彼は云いました。「人間たちにはね、僕の姿は見えないんだ。それは僕も同じで、よほど目を凝らさなければ人間の姿も声も聞こえないしね。伝達手段がなんだよ…。それに誰が誰を守るなんて考えは傲慢以外のなにものでもないと思うよ」
二、談話
「人間の希望の粒が光の粒に当たって砕けたのが妖精なんだってよ」「それじゃあ、精霊っていうのは?」「あれは、…そうだね。妖精が大人になったら精霊なのかな?」「えー。でも、精霊はモノに住んでるんでしょ。妖精は空を飛んでるぢゃん」「それは表面的な問題だよ。宿るのと、空を飛ぶのにどれほどの違いがあるのさ。もっと論理的に物を考えなきゃいけないよ。『羽根をなくした妖精』ってね。飛ぶのに疲れたんだよ」「それじゃあ、精霊は妖精なの?」「それは、『大人は子どもなの?』っていってるのと同じだよ。ある一点から見て『そうだ』としか言い様がないよ」「んー…? 難しいような、簡単なような…」「簡単だよ。成住壊空(じょうじゅうえくう)を流転する他の生命と変わらないさ。ただ、住んでるんじゃなくて、融けてるっていう違いだけでね。ただ、それを難しいと感じたり、不思議だと思うのはとても良いことだと思うよ」
三、兄弟
葵と梓。二人は兄弟であった。兄の葵は、梓が三歳のときに、病気で亡くなった。その時、葵は十一歳だった。梓は、ものごころがおぼろげながらに身についてきた四才頃から、自分には見えて人には見えないものがあるのに気づいた。それが兄の葵だった。寝るのも遊ぶのも葵と一緒であった。『独り言の目立つ子ども、一人遊びの好きな子ども』周りからはそう思われた。
四、訪問者
さて、先ほどの二人はとろとろと森の中の小道を歩いていた。ここはフェンスに区切られた立入禁止の場所であり、ここ一ケ月間誰も出入りしていない。
「どうして此処に来たの?」「ねぇ、お兄。人がいるよ」「え? 人? ここは立入禁止の場所だよ。人なんか居るわけないよ」「じゃぁ、妖精かも」そう言って弟は、大きい木の方を見る。兄の方は辛うじて雰囲気を掴める程度で、精霊そのものの姿は見えていないようだった。「お兄には見えてないみたい」そういって、弟は精霊に話しかける。「―――そう、それは寂しいね」独特の間を置いて、話す精霊。
「どうして此処に?」再び精霊は話しかける。弟は精霊のとなりに腰を掛ける。兄は訳が分からないながらも、弟の隣に座り込む。「どうしてここにきたの?っていってるよ」弟は兄に通訳するように話す。「どうして? 来たかったからさ」「だって」弟は精霊の方に向く。「何だか怒ってるようだけど?」「お兄、怒ってる?」「怒ってないよ」「なんで?」「…怒ってないって言ってるだろ」「それじゃ、さっきからどうしてあさっての方、向いてるの?」「…腹が立ってるわけじゃないけど、腑に落ちない点がいくつかある。一つ、精霊はなぜ弟には見えて、僕には見えないのか。二つ、精霊には僕のことは見えてるのか。三つ、なぜ僕たち、正確には弟の前に、姿を現したのか。以上」兄はつっけんどんに話す。「答えれる?」弟は精霊の方を向く。「―――まず、僕が見えないのは、ただの気の所為だと思うよ。―――姿を現したのは、別に僕の意志だけじゃない。…端的にいうならば、引き合った…という感じかな」「見れるの?」兄は、精霊の方を向いて、尋ねる。その瞳は心なしか輝いて見える。「…多分ね」「あ、触ったりできる?」弟が精霊に訊く。「ああ。多分出来るんじゃないかな」「それじゃ、握手」そういって、手を差し出す。真っ白い透き通りそうな精霊の肌は雪女のように冷たそうでしたが、触れてみると意外、人肌でした。
五、理由
「僕がここに来たのは、妖精を見るためなんだ。そんなのはお話の中だけだってお父さんは言ってたけど、お婆ちゃんは昔この森で妖精を見たって言うんだ。お母さんには危ないから勝手に入っちゃだめだって言われたけど、見たかったから…内緒でフェンスを越えて入ってきたんだ」と、兄。「危ないとこもあったよね、面白かったけど」と、弟。それを楽しそうに聞いている精霊。「…そうだね…、確かに妖精はあんまり見なくなったよね…」精霊は呟くように言う。「そうなの?」と、弟。「さっき、君が言ってたぢゃないか。『人間の希望の粒が光の粒に当たって砕けたのが妖精』だって」「え? あれって嘘じゃないの? 本に書いてあったんだよ?」兄は少し驚いたように言う。「妖精はお伽話から生まれるんだから、『嘘』なんかぢゃないよ」「…じゃあ、君は妖精の大人?」精霊は微笑して、「さあ、それはよくわからないね―――、僕には記憶というものはないから」「記憶がないっていうことは、なんにも覚えてないの? 子どもの頃のこととか、パパとかママのこととか、それに、友達やら、うれしかったこととか…」「…さぁ、どう云えばいいのかな。君だって、ごく小さい頃のことは覚えてないだろう? 覚えていたとしても、それは後からの推測だったり、伝聞によるものだよ。僕にはそんなものはないからね」「親がいないの?」「所謂血の繋がりは何処にもないから…。でも、本当は縁にさえ触れれば、一万年前のことだって、一億年前のことだって思い出すことはできるんだけどね…。ただそれは人間の謂うところの『思い出』とはちょっと違うけどね」遠くの空にはジュラルミンの鳥が大きな音を立てて飛んでいる。もうすぐここも切り拓かれ、整備されて、整然とした『閑静な住宅地』になるのだろう。「―――寂しい?」「…それは、どうして? そう思うの?」「普通、パパやママがいないと寂しいよ」「僕の親は謂うなれば人間だよ。だから寂しくはないさ」
六、微睡みの中で
「もう。あなた達は! あの辺は建設工事で危ないから、行っちゃダメって言ったでしょう?」二人はあの後、森の中で寝入っているのを、管理業務の人に見つけられ、自宅まで強制送還される。事故はなかったので、管理業務の人は警察には報告せず、今後こういう事のなきようと厳重注意して帰っていきました。「……」二人は黙って、ママの言う事を聞いていました。大して反省をしていないようですが…。「でもね、いたんだよ。妖精。あ、精霊か」弟は黙っている兄の横でママに話しかけました。「…どんなだったの?」「あのね、手が暖かかった。それと、さびしそうだった―――」兄は横で黙っていました。「でも、もう行っちゃダメよ。精霊はママと違ってあなた達を守るためにいるんじゃないんですからね」
月明かりの差し込む部屋―――。明かりを消したての部屋に、微睡む前の兄弟。「明日もう一回行ってみようか?」「うん」静かに横で返事をする、弟。「『人間の希望の粒が光の粒に当たって砕けたのが妖精』か…。希望って何なんだろうね」「それは『夢』だ…と云ってる詩があったけどね」「―――どんな詩?」「喜びを 悲しみを 語ろう 清流のほとりで 森の陰りで 夢を希望と なぞりながら」「よくそんな言葉覚えられるね―――……なんかむつかしいし…。」語尾が不鮮明になっていく。弟は微睡みながら答える。「おやすみ」
七、白鼠
兄弟は学校帰り、昨日と同じように秘密の裏道を通って、鬱蒼とした森の中へ入っていった。森の中は、昼間でも薄暗い。もうすぐ、昨日の場所に辿り着こうとするところで、一匹の白い鼠が目の前に現れた。「あ…。鼠」弟が声を出す。鼠は不思議と逃げない。その鼠は両手に余るぐらいの大きさで、さながら鼠の王様といった風貌だ。「『ハーメルンの笛吹き』に出てくる、鼠みたいだ…」兄は呟く。鼠は兄の手の中に収まり、とどまっています。「ハーメルンの笛吹きって?」「ああ…、大人の我が侭は、いずれ子どもに返ってきて、それは結局自分の首を絞めているんですよっていうお話さ。家にあるから読んでみるといいよ」「一緒に?」兄は頷く。「秦皮の匂いがする」突然、鼠は喋り始めました。「え?」「白鼠?」「貴殿に尋ねる。この辺りでトネリコの大樹を見かけなかったかね?」白鼠は慇懃に訊ねる。「トネリコ? どれがトネリコかわからない」「そうか、それでは仕方がない。して、貴殿等は何処へ?」「精霊のとこ」「精霊? ふむ、そこに連れって言ってくれるかね、一緒に」「うん、いいよ」兄は白鼠を抱き抱えながら進みました。暫く進むと、昨日のイチイの樹の場所に着きました。すると、手に乗っていた白鼠は、手からするりと降りて木に近づき、「やはり、そうか。お前たちが会いにきた精霊とは、無二の親友でね」そういって、白鼠は「秦皮。サヴェリエフだ。何処にいるのだ?」大きな声ではなかったが透き通って木霊する。木の中からすっと透き通るように精霊が出てくる。「―――久しぶりだね、サヴェリエフ。―――でも、私は秦皮ではないよ。今は、名前がない」旧友の久方振りの訪問に些かの喜びと驚きを表しながら、どことなく寂しそうな瞳。「なんとまあ、そうであったか。気配はすれども、姿は見えずとは正にこの事。不覚であった」「また、来たんだね。ようこそ」精霊はぼーっとしている兄弟の方を見遣り声を掛ける。「こちらの御仁は?」サヴェリエフは尋ねる。「いるようでなかなかいない人たちさ」
八、コンクリートの下に
「この辺りももうすぐ伐採されて、街に変わっていくから…」「それでは、どこかに移動せねばならんな」「だから今度は誰にも邪魔されない奥地に隠棲しようかな―――どう思う? 希望通りにはいかないだろうけど」「大変だな。便利が悪い。―――もっともお前にはそんなこと関係ないだろうけど」「―――…関係なくはないけど―――」風の戦ぐ音。兄弟は傍らに静かに座っている。何の話か見当もつかない。「何処かに行っちゃうの?」合間を見計らって弟が精霊に訊ねる。「うん。多分ね。この森がなくなると同時にまた別のところに―――」「何処? この近く?」「それはわからない。―――もしかしたら、遠くかもしれないし、もしかしたら、この近くかもしれない」「誰が決めるの? 自分で決めれないの?」精霊とサヴェリエフは一瞬戸惑いの表情を浮かべ、微苦笑する。「自分で決めて、自分で動けるのはこの世でただ人間だけだよ」精霊はいとおしげに弟を見つめながら答える。「え?」兄弟は不思議そうな表情で精霊を見る。「…でも、あと一万年ぐらい生き長らえれば、世界中の樹ととけあって、何処へでも好きなところに行けるんだろうけど」「―――森が生きてる限り精霊は生き続けるんだよね」兄が訊く。「そうだよ。だから地球上の森はいつも同じ生命なんだよ」「ねぇ…、どうすればここにいられるの?」弟は精霊に訊く。「それば僕が…?」「―――うん」精霊は少々考え込む仕草をして、「僕は此処にいるんじゃなくて、棲んでいるんだ。―――森がなくなれば、此処にいるなんてことは無理だよ……―――」ゆっくり歯切れよく云う。「そうなの?」精霊は優しい微笑みを返して、「…そう…。まぁ、それは人間も同じなのだけれど」「?」「まだ、君にはわからないかもね。でも、わからないけれど、見えてる。そのことの方が大事なんだよ。…本当はね」そう云って微笑む精霊はとても曖昧な微笑みです。「人間は泣きながら生まれて、笑いながら死んでいくけれど、僕たちは笑いながら生まれて泣きながら死んでいくんだよ。ただそれだけの違いだよ」追い打ちをかけるような哲学的な言葉に、サヴェリエフ、「流石はトネリコ切っての博学。何故にそこまで人間の味方をするのか?」「同じ問を無頼の雲にされたことがあるよ。 僕たち精霊は人間から生まれたものなんだよ。…だから、人間の味方をしてるわけじゃなくて、人間のことが好きなんだよ。程度はあるけどね」
九、ニュータウン(リブレス)
「そうか…。それならば、何も云うことはない」「無頼の雲にもそう云われたよ」兄は、ぼーっと空を眺めている。弟は、精霊を眺めている。しばらくして、「これ」そういって精霊は、自分の枝を差し出す。「僕自身ではないけれど、僕の部分。あげる」「?」きょとんとする弟。「これを土に植えて根が生えたら、精霊が宿るよ―――」「え! ホント!?」「…多分」「多分?」「…ちゃんと新芽が出て、育ったらっていうこと」「大丈夫。ちゃんと世話する」「そう、それならいいけど」(精霊は安堵と不安の表情。)「
―――五年後。あそこはニュータウンとして生まれ変わった。樹はなんとか根づき、すくすくと育っている。「こんな風に、精霊を全部ここに連れてこれたらいいのにね?」「全部? 論理的に不可能だよ。それよりは、その精霊がそこでずっと暮らせることを願った方がいいよ」
「人は誰でもこころの中に森を守ってるさ」僕はこの樹が大樹になるのを心待ちにしている。